昭和43年4月6日 朝の御理解
                       中村良一
御理解 第80節
「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生れてきたのではない。みな、神のおかげで生れてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるが良い。」



 御理解八十節の最後のところに、「若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるが良い」と。信心させて頂く者は、ここのところを、心掛けとかなければいけんのです。若い者でも人のため、世のため、役に立つ人は、何とはなしに人は敬うてくれるようになる。けれども、不都合、不行き届きが重なってくると、人が敬わんようになる。私共がね、人に対して、社会に対して、果たして、不都合、不行き届きがないであろうか。そして、私は、主人じゃ、私は、ここの家の主人だと、例えば、家内やら、子供からでも、敬われなくなってくる。私は、ここのところの内容を、一つ、頂かなければ、それこそ、子供からでも、家内からでも、または、主人からでも、兄弟からでも。家のお母さんはとか、家のお父さんはとかという風にです。家族の中のみんなから敬われる。まず、私は、人にならなければいけないと思う。そして、親を馬鹿にしておるとか、親を軽う見ておるとかと。例えば思うのは、見当違いもはなはだしい事になるのですね。不都合、不行き届きがあるから、人が敬うてくれん様になるのです。そこのところをです、信心する者は、よう心がけておけと仰る。信心する者は、そこのところを心がけておけと。自分の、私利私欲のために、社会奉仕をしておったんでは。形の上では、はぁおかげ様でと、みんなが言うかも知れませんけれども。心から敬うてはくれません。
 今朝から、私、控えに入らせて頂きましたら。昨日の朝までは、金光様のお写真の下に、椿が入れてあった。もう、生き生きとして、こう水揚げをしておる。今朝は、それは取り替えられて、山吹の花が、一輪、見事に入れてある。山吹の花。私は、その事から思うのですね。山吹の花といや、思いだす御理解が、幾らも椛目ではございますね。もう、七、八年も前だったでしょうか。椛目の控えの軸に、「山吹や、かけひで足を洗いおり」という句が掛けてあったですね。あれは、私が頂きました句です。山吹や、かけひ、かけひと言うのは、水の、かけひで足を洗いおり。よう、あの太田道灌の、あれでも頂きますね。あそこでは、まぁ、推量してください、蓮根食うてくださいという意味合いで、御理解頂きますよね。山吹の、実の一つだに無きぞ悲しきという、あの歌から、ね。山吹という花には、実が実らない。花はもう、それこそ、いっぱい咲くのですけれども。実の一つだに無きぞ悲しきである。まぁ、そういう様なことから、私は、本当に、自分の信心の実が無い事を、神様は指摘して下さっておることを感ずる。
 昨日、久し振りというよりも、もう、一年何ケ月ぶりでしょうか。古賀先生が、良くここへやって参りました。教導です。もう、三時頃だったでしょうか。こたつの間におりましたら、やって参った。それから、ここへ、先生方、三、四人集まってから。今あの、病院に入院しております。おかげで、もう身体が、殆ど退院間際のおかげを頂いて、体も肥えて、色もうこう黒うなって、元気に、おかげを頂いておる訳でございますが。まぁ話すと、横になると、信心話になるのですが。中で、その先生が、こう言ってるんですよ。私は、ここに修行に参りましたのも、ここの親先生の御理解を頂いて、ここに修行にこらせて頂いたが。先日から、二、三年前の御理解を頂いておりましたら、本当に、素晴らしいのですけれども。最近の、朝な夕なに頂くところの御理解の、先生の信心が、もう本当に、こう充実して行きよる。充実感を、最近の御理解の中から感じます。私は、言われてから、本当にそうだろうかと、自分で思うてみるのです。厳密に言えば、まぁ、人から言えば、聞けば、そうかも知れんけれども。神様の目からご覧になれば、それこそ、実の一つだに無きぞ悲しきじゃ。実が無い。実という事は、実が無い。お互い、こうやって、せっかく心行させて頂くのでございますから。その、様々な機会を与えられる都度に、今日の御理解じゃないですけれども。おかげを頂くチャンスというのは、何時もあるんだ。ですから、改まらせて貰うチャンスも、いうならば、何時もあらなければならない筈です。けども、なかなか、そのチャンスを、私共は、掴み切らんのです。そこで、本気で改まらせて頂く。今のような事では、それこそ、如何に盛んのようであっても、それは、山吹の花のようなものぞと。如何に、合楽、合楽というて、みんなが、本当に、草木もなびくように、その、合楽、合楽という様な、たとえ、時代が来たに致しましても。山吹の花のような、なびき方では行くまいが。まぁ今年、一年の事を考えましても。確かに、様々な会合が、全部こう、合楽合楽という風に、合楽で持たれるようになるという事は、それこそ、草木もなびいておる感があります。けれども、その、なびいておる、それが全部、ただ、賑やかであってもです。それが、山吹の花的なものであってはならないという事である。実がなからなければ、実がなからなければ、何時までも残るものでなからなければ。そこを思う時にです。お互いの、日常生活の、実のない生き方。なるほど、これでは、子供からでも、家内からでも馬鹿にされても、ないがしろにされても仕方がないのです。だから、仕方がないじゃいけんから、敬われるためでなくても、自分自身が、実の人にならなければ。いわゆる、実意丁寧の人にならなければ。そこんところをです、私は、内容に頂いて行かなければ。形じゃいかん。内容です。
 最近のお話を頂いて下さると。今、先生が申します様にです。最近の御教えを頂いておると、親先生の信心が、本当に、一杯充実してきた。そういうものを感じると言われるが、果たしてほんなら、私の内容というものを、本気で、見せて貰う。また、神様の目からご覧になると、山吹の花的なものではなかろうか。さぁ、足を洗え、足を洗えと。足を洗えという事は、改まった生活。いや、もう一段改まれ、もう一段改まれという、限りない神の声を聞く様な気が致します。
 今日は、皆さんに、私はあの、明日は久留米の松栄会という、松栄会じゃないね、松蔭会という会がございます。久留米地区の、石橋先生の教えを頂いた、久留米地区の、何ヵ所かの教会の総代幹部を併せて、出来て、月々、信心の共励をしております会であります。その総会が、久留米の教会で開かれます。鹿児島から、行徳先生が、講師でお見えになっての事でございますそうですが。その司会を、ここの信徒会長で、秋永先生が、まぁ無理に、あんたが、どうでもやってくれという事になっておるそうです。ですから、まぁ、いうならば、一つ、秋永先生に聞いて貰いたい。司会をするからには、やはり、久留米の初代の石橋先生の、信心のご内容というものを、身に付けておかなければならない。今日言う、私が言う、実のある人。もうその、代表のようなお方なんです、石橋松次郎という先生は。ですから、これは、秋永先生に、聞いて貰って、司会の何かの、司会をするからには、先生の信心のご内容にも触れておかなければ、司会は出来ますまい。ですけども、その内容を頂くという事は、先生の信心の流れを組む、私共、一人一人の上にも、やはり、大切な事なのである。それで、まぁ、そういう意味で、聞いて頂きたいと思う。
三代金光様をして、久留米の石橋さんこそ、真の人でしょうなぁと仰った。出過ぎもせず、引っ込み過ぎずもせずと仰ったという事です。如何にあの、石橋先生の、信心の内容が素晴らしかったか。けれども、始めから、その内容が素晴らしかったとは思われんのである。段々、信心の修行が生まれ、徳を身に受けられて、おかげを受けてお出でられたのである。親の病気が、ご縁で、福岡の教会にご縁を頂かれたのが初めて。その時までは、お稲荷様のご信心をなさっておった。もう、それも、当人様の代人でもされるくらいに、まぁ霊徳が、発揮しておられたという事でございます。そして、ひとたび、お道の信心を頂かれて、お道の信心の話を聞かれて感銘される。そして、お道の信心に、一生懸命になられて、福岡から、小倉の桂先生の元でご修行になった。ですから、先生の、これは、人柄というかね。ある時に、ある時と言うが、あの、木曽に、あの、御本部御造営の材木の伐採にお出でられた時にですね。ある日、まぁ、つれづれにですね。桂先生が、今日はその、ここの町に、お芝居が来ている。だから、石橋さん、お芝居見げ行こう。吉木さん、お芝居見げ行こうと言うてその、吉木先生、石橋先生を誘われたらしいです。ところが、その吉木先生ですね。福岡の吉木先生は、私は、お芝居よりか浪花節の方がええけんでというて、その浪花節の方へ行かれたち言う。桂先生は、お芝居の方へ行かれた。さぁ、中に立たれた石橋先生は、どちらへ付いて行って良いか分からん。どちらも師匠なんですから。そこで、まぁ、仕方がないから、その吉木先生のお供をして、浪花節を聞きにお出でられたそうです。桂先生は、一人でお出でられて、しばらく、お芝居をご覧になって、ちょっと、横を見たところが、石橋さんが、ちゃんと、横へ掛けておったと言う話があります。吉木先生の、顔も立て。桂先生の顔も立てると言う。まぁ、最高の人情を使われた訳なんですね。まぁ、そういう、お人柄だったらしいですね。
石橋先生が、大徳を受けられて、言っておられた事の中に、この世は、徳の船に乗って渡れと仰った。だからその、石橋先生がです。いうならば、普通の、一般人間の考え方の中から、段々、神ながらな生き方になられ、お徳を受けられて、いうなら、その徳の船に乗られるまでの信心内容を、お互い、一つ分からなければいかん。もう、徳の船に乗ってしまわれた。大徳の、先生の御信心というものは、これはもう、私共には、いわば、手の届かないように、まぁ、大変、難しい事ではなかろうかと、こう思う。私は、その、徳の船に乗られるまでの、石橋先生の信心がです。いわゆる、福岡の吉木辰二郎先生ですね、三代の。先生が、先生があの、晩年、ちゅうぶが出られました。それでもう、御用がお出来になられんようになってから、吉木先生が、石橋先生、あなたのお徳を私に貸して下さい。私に、また頂かせて下さい。あなたに代わって、ご信心を、あちらこちらに、まぁ、説いて回りますと、というような意味の事を仰ったそうです。そしたら、石橋先生が仰った事は、はぁそうじゃなぁ。御神徳いうのはな、神様の御信用じゃからなと仰ったそうです。だから、貸す訳にはいかんて。徳の船に乗るという事は、徳を受ける、御神徳を受けるという事は、神様の御信用を受けるという事なんだから。これは、貸す訳にも、渡す訳にもいかん。こりゃ、銘々が、神様の御信用の頂けれる、お前に、君にならなければいけんのじゃないかという事なんです。そこでその、神様から、ご信用を頂けれるために、いわば、普通、石橋松次郎から、御神徳を受けられた石橋松次郎への、そのすがら、過程というものがです。如何に、実のある生活をなさったかという事なんです。如何に実のある信心生活をなさったかという事、そこんところを、私共は、先生の信心のご内容を頂きたいというのは、そこを頂かんないけんのだろうと、こう思う。
 ある時の、小倉の教会の大祭かなんかの後であった。まぁ当時、偉い先生方は、まぁ、石橋先生、甘木の安武先生と、吉木先生とかといった様な、大徳をを受けられた先生方が、もうそれこそ、きら星のように、ご直会場に集まっておられる。一番上に座っておられる桂先生が。そのご直会の始まる前に、石橋先生をご覧になってから仰った。ここのところは、言葉が、ひどい言葉ですから、まぁここは、あの、使ってはならないところだと思うけれども。まぁ、実感が出るために、私は申しますがね。石橋先生に、こう仰った。石橋さん、あんたんところの息子は、馬鹿じゃなと仰ったそうです。光男先生は、お小さい時にですね。高い所から落ちられて、頭を打たれたんですね。それから、ちょっとこう、頭が変になられた感じがあって。それでも、御神前に出られたり、ご結界に奉仕されると、そら、大した先生でしたです。石橋光男先生、二代の先生です。けども、そういう先生の、お若い時ですから。そういう言葉で、まぁ、単刀直入にですね。石橋さん、あんたんところの息子は馬鹿じゃなと仰ったち。しかも、満座の中でですよ。そん時に、石橋先生がですね、もう、間髪をいれず、お答になっておられる事はです。先生、おかげで信心が出来ますと仰った。先生、おかげで、そういう、言うなら、馬鹿息子を持っておりますおかげで信心が出来ますと仰った。それこそ、かーっと来ておられんのですよ。本当に、こういう息子が、例えば、まぁいうなら、出来たという事に対してですたい。その事を、自分自身の信心のお粗末御無礼、不都合、不行き届きとして、何時も、心の中に、詫び抜いておられ、そこに、修行が出来ておられるところにです。おかげで信心が出来ますと仰ったんです。桂先生はですね。もうそれこそ、びっくりされたんですよ、それを聞かれて。石橋さん、それじゃと言うて、一番口に盃をさされたという事だそうです。信心は、石橋さん、それぞと。そういう生き方ぞという事なんです。
 昨日の御理解から行くと、そこんところを、信心で見、信心で聞き、そして、かーっとしたけれども、それを、信心で見て、聞いて、私共は、和賀心を頂こうというのだけれども。石橋先生の心の中には、絶えず、和賀心があったという事が言えますですね。石橋先生は、非常に寛大なお方であった。もう、大空のようなお方であった。これは、私が、久留米の店員生活を、七年間しております間。毎日、お参りを致しましたから。惜しい事に、そういう、ただ、お参りしておるだけで、何も残ってない事が残念ですけれども。確かに、しかし、大した先生でしたですね。風貌と言わず、もうその、お態度が素晴らしかったです。ちょうど、今の、旗崎の教会の先生方ご夫婦が、ご修行中でした。私が、毎日、お日参りをした時代です。そういう、あの時というが、教祖五十年祭がございました。当時、久留米の千人参りと言われておりますのは、その時のお参りでございます。教祖五十年祭に、久留米から、千人参りが、団体が出来ました。大変な盛大な事でした。ですから、里の方から、もう、こげなお祭りは、またとないのだから、是非、お暇を頂いて、一緒にお参りをするようにという。何回も言うてくるんですけれども、さぁそこは、その、他人様の家ですから、そんな訳にはいかん。三日間なっとん、潰さにゃ。昔は、一日、あちらへ泊まっておりましたからね。そして、その事を、私は、石橋先生にお取次を願ったんです。そしたら、その時の事だけが残ってる。お繰り合わせを願いなさいと仰った。お繰り合わせを願うときましょうとは知らなかったですね。私が、お願をしてやろうとは仰らなかったんです。お繰り合わせを願いなさいと、あなたはあなたで。そして、勿論、先生のお取次をして下さった事は、勿論です。石橋松次郎というものを、こう、空しゅうしてござった。金光様がお取次して下さる。それで、あなたはあなたで、お繰り合わせを願いなさいと、こう仰った。お参りの出来ない筈のお参りが、不思議な事で出来た。というのは、私の、お酒屋さんでしたから、酒屋の、大変大事なお得意さんの、そこのお爺ちゃんが、御本部参拝をなさる事になった。ご信者さんでした。前田さんち言う。今、久留米の教会に、村上さんという婦人がお参りしておられます、お年寄りのお婆さんが。その方の、叔父さんに当たられる方です。その方が、その私が、御本部参拝にお参りをしたいというて話しとったもんですから。もう、お参りするもんと思われたらしいです。そして、私の方のお店の前を通る時にです。今度は、あなた方の番頭さんが、御本部参拝しなさるげなけん、私は、連れて行って貰って、本当にあの、年寄りですからね。お宅の番頭さんに連れて行って貰うから、本当に有難いという意味のお礼を言われた訳です。だから、うちの主人としても、もう、否応なしにですね。お参りさせなきゃならんようになったんです。あんた、今度は、御本部参拝するぎなのち。という様な事です。する時めとる訳じゃないけれども。そういう風に言われて、まぁ、見やすうお参りが出来て、おかげを頂いた事がある。もう、いうならば、打てば響くように、おかげを、確かに受けたですね。あの時代、石橋先生のお取次を頂いたら。だからこそ、あれだけのゴヒレイが輝いたんです。
 私は、今、現在の金光教というか。その、打てば響くようなおかげが受けられるとですね。それを、何か、とってつけたようにあって、真実味が無いという様な事を言うようになってるですね。そうじゃないです。お道の信心は、確かに、打てば響くようなおかげが受けられるんです。石橋先生の信心の、ご中心をなしたものと言われえおります、信心辛抱と。四神様から、なぁ石橋さん。信心辛抱さえしておれば、物事整わん事ないと仰られた。それが、石橋先生の信心の、もう、杖でもあり、柱でもあった訳なんですね。だからその、信心辛抱の、そのご内容というものをです。石橋先生は、非常にその、出過ぎもせず、引っ込み過ぎもせず、実のある、( 音声切れ )それについては、非常に口うるさく教導なさった。けれども、事、大きな、例えば、問題を起こしたり、失敗をしたりした時には、もう決して、それを仰らなかった。だから寛大だという風に頂いては、私は間違いだと思う。おそらくはです、先ほど、光男先生の、その事から考えて、おかげで信心が出来ますという、その内容なんです。弟子の無調法は、師匠、石橋松次郎の無調法として、神様に、平身低頭、詫びられたに違いないのです。だから、それが、寛大に見えた訳なんです。おそらく、私は、そういう所に、信心辛抱なさったのじゃなかろうかとこう思うのです。例えば、堪えられないような問題であってもです。それを、自分の事としてです、神様に、平身低頭詫びておられるのではなかろうか。そういう事が、あんまり、言われておりませんですね。石橋先生のご信心の内容とは、ただ、寛大というだけが言われておる。なぜ、言われなかったか。なぜ寛大でおありになったかというのはです。その事によって、信心を高めておられた。その事によって、改まってお出でられた。その事をお詫びの対象にされたという様に、まぁ、私は感じるのですね。石橋先生が、普通一般の所から、徳の船に乗って渡れと仰る。その徳の船に乗って渡られた。だからその、乗るられるまでの信心がです。只今、私が申しましたような、そういう内容を、繰り返しての、ご日常であった。そこに、先生の信心の、実のある人として、出過ぎもせず、引っ込み過ぎもせんご内容というものがです、お出来になったのであろうと、私は思うのでございます。
これは、石橋先生の事ではございませんけれども。昨日、毎日、今、久留米の野口つぁんが、今、壱岐の方から、娘さんが、ご大祭まで、こちらにお暇を頂いて来とるというて、親子で来とります。で、その娘さんと、親子四人連れで、毎日、お参りがあります。昨日、見えてからのお届けなんですよ。そして。後で、昨日の御理解を頂かれましてですね。もう本当に、そうどころではない、そうどころではないとこう分かって行かれている、いわゆる、姿なんです。今度、あちらの息子さんが、五島の方に、二か月余り出張する事になったんですよ。そこでその、布団を持たせてやらなければならんのに、今、あちらの離れの方に、野口つぁんの姉さん達夫婦が、子供がありません。田舎の方に、大きなお家を持っておられるけれども、町の方がいいと言うので、まぁ久留米の方へ、ここ一年余りですか、見えておられます。その見えられた当時にです、今は、もうエバーソフトの布団なんて、珍しくないですけれども。まぁだ、久留米あたりだはない、東京あたりしか無いという時代に、そこのご夫婦が、買うておられた。当時、一万円もした。それをその、こちらへ、久留米の方へ見えられてから、狭くもあるし、一枚は、新子さん、あんたにやろうというて、その、やられた。それでその、自分で、自分が使うておられたのだけれども、今度、息子が、五島の方へ行くと言うので、それを、手軽いからと言うので、荷造りして、綺麗なカバーをかぶせ掛けておられた。ところがその、裏の方の離れにおられる姉さんがやって見えてから。新子さんそりゃ、あんたにやっとるとじゃなかもんのち、貸しとるとばのち言われたち。この人ばっかりは、どうして、ケチな事を言う人じゃろうかと思うたけれどもです。ここ二三日、いろいろな修行があってから、しっかり、信心を頂いておる時だもんですから。この人はもう、そげん、借っとるなら、私は、人の布団を、借ってからまで、自分で使おうとは思わなかった。貰うとるもんと思うて、自分が使いよったけれども。そんなら、もう、私は、借るらんばのと、こう言いたかったんですけれどもですね。はぁ、そげなこつじゃったの、そんなら、これはまぁ、綺麗にしてから、返やそうと、という風に、まぁ、受け答えが出来た訳なんです。けれども、治まらんのは、その自分の心なんですね。
いわゆる、昨日の御理解から頂くとですたい。そういう、本当に、かーっとする様な事を言われてもです。そこんところを、信心で見、聞きした訳なんです。だから、言葉には、おかげでそう出た。けども、心の上にも、そこのところのおかげを、日頃の信心を、心の中に頂こうとしておる時にです。私は、この辺にね、そういう気になると、神様がおかげ下さると思うですね。横からね、下の方の娘さんが、やって来てから、お母さん、叔母さんのあれは、病気ばいち言うて、その耳元で、囁いてくれたと言うんですよ。あら、叔母さんがケチなっじゃない。あれは叔母さんの、あれは、日頃の病気ばいち。もう途端にですね、はぁ、ほんなこて、あの人は、ケチなんじゃなかった。あれが病気じゃったと思うたらですね。病人ならば、大事にしてやらんならんという心まで、一緒に起こってきたち言う。病人ならば、大事にしてやらんならんという心まで起こって来て、まぁ何とかわいそうな病気をしておる姉さんじゃろうかと思うてです。もう心は、途端に有難うなったとこう言うのですよ。そしたら先生、もう、その後があなた、もう、ほんに大変なおかげなんですよと。取ってつけたようなおかげなんです、言うなら。そういう話を、一般にするとですね。そんな、白ごつじゃろうと、一般では、言うようになっておる様な向きがあるですね。椛目では、みんな、そういうおかげを頂いておる訳なんです。姉さん、なんか言うた後が、どうも、当たりが悪かったらしいんですよね。外へ出て、草どん、取りよったげなが、そん、久美子さんち言う。その、壱岐の方へ行って、今、毎日、ここへ参ってきよる娘さんですね。姪に当たる。はぁ、大変おかげを頂いておりますけれども、金銭には、まぁ、不如意な所を通っておる、修行しておる人なんです。そん、壱岐の方から、姪が来ておる。今、ここへ参って来ておる訳なんです。その久美子さんに、久美子さんち言うてから、姉さんが呼ばれたそうです。あんた、毎日椛目に、この頃、お参りしよるけん。お賽銭もいろうけんでち言うちから、五千円やらっしゃったげな。ね。先生、今時のですね。こういう、エバーソフトの布団が、沢山出だして、もう、五千円出しゃ、もっと立派なものがあるち言うんですよ。だからですね。問題は、その五千円貰うたことが有難いのじゃないけれどもですよね。そういう、神様の働きがね、何と、素晴らしい事か。昨日の御理解を、一つ、もう一遍、思い出さにゃいかん。本当に、私共は、おかげの受けられる、受けられないの、何時も境にある。はぁ、そうね、姉さん、そんなら、返すばのと、言うとったら、それぎりなんだ。いわば、不幸の方へ、不幸の方へとなって行くに違いないんです。けれども、そこんところをです。信心で見て、信心で聞いた。そこには、まだ、治まらないものがあったけれども。そういう、一生懸命に努めておるとです。必ず、神様の、いわば、援助の働きというかね。助け船が出てくるです。お母さん、叔母さんな、あら、病気ばいとこう言う。はぁ、ほんに病気と思うた途端にです、もう、これがすっきりする段じゃなかって、病人ならば、大事にしてやらにゃならん、介抱でもしてやらんならんという気持にならせて頂いたら。姉さんの方も、改まる事が出来ただけではない。不自由しておる、自分の娘の久美子に、五千円の金を、椛目参りにお賽銭も要るけんというて下さったとこう言うのである。久美子も喜び、美恵子も喜び、私も有難い、姉さんも、姪にその、五千円もやったもんじゃけん、嬉しゅうでこたえんごたる風。そこへ、長男の弘樹が帰ってきたけん。あんたはもう、今度は、二カ月も、あっちへ行くのじゃけん。叔母さんに、また留守中いろいろお世話になりますというぐら言うて行きなさい。叔母さんな、バナナが好きじゃけん、二本でん三本でん良いけん、綺麗なバナナば買うて来てから、今度、あんた行きがけに、バナナどん持って行って挨拶に行きなさいと言うた。そんなら、僕も、そげんしようち言うてから、まぁ、その息子にですね。叔母さんに、そうでもしなさいと言わにゃ、そう言えるほどに、おかげを頂いておる。
これは、昨日の御理解を、改めて、野口つぁん、頂かれてからです。もう、この御理解の通りだ。私共は、何時も、絶えず、おかげの受けられる、いわば、真ん中にあるんだ。命にかかわるような事にもなるか。フグのような珍味になるか。その境にある。その、ほんな心ひとつで、そういう働きになってくるんだと。そういう働きを、はっきり、今、合楽では、皆さんが見たり、感じたりしておる訳なんです。そこの所をです、私はね、久留米の初代はですね、もちろん、そのくらいなものじゃないでしょうけれども。そういう様なものを、身に付けておられたという。私共が、七年間、お参りさせて頂いてから、感じておった事は、そういう事でございました。そういうおかげが、ほんなら、現在の、合楽でも受けられておる。けれども、これは、ほんなら、石橋先生のように、実があって、金光様から、あの人達は、出過ぎもせん、引っ込み過ぎもせんと言われるほどの、真の人でもない、私の所で、それが現れておるという事にです。私は、本当に、いわゆる、今日の御理解じゃないけれども。実の無い私を、神様は指摘しておられるのだから、いよいよ、実を頂いて行かなければならないという事。言うなら、今、現在頂いておるおかげは、山吹の花のようなものなんだ。銘々の信心の上に於いて、現れておるおかげもそうなんだ。身が実るようなおかげにならせて頂くために。私共が、本気で、ただ、そういうおかげを受けておるからと言うてです。もう、それだけで、事よしとせずにです。お互いが、こうやって、一生懸命、信心させて頂いておるが。果たして、どれだけの実を持って、神様へ向こうておるか。どれだけ、私共が、「山吹や、かけひで足を洗いおる」という、その、山吹の花ではいけない。本気で足を洗わなければ。足を洗うて、こういう信心が出来ておるか。改まって、神様へお願いをしておるか。改まって、信心の修行が出来ておるか。
昨日、秋永先生が、今、その私の控えに、もう沢山誰かが大便を一杯しておる所を、御神願に頂いたというお届けがありました。大便といや、大きなおかげと。ご結界を、例えば、便所というなら、だから、ここんところでは、小便をおかげにするなら、大便は、お徳だと私は思うです。今の合楽でですね。もうお徳を受ける信心を、今こそしとかなければならん、為にはです。ただ、山吹の花だけに幻惑されとってはならないという事。ただ、打てば響く様なおかげを受けられておるという事だけでですね。終わっておったら、現在の久留米を見るが良い。当時、打てば響く様なおかげを受けた人達が、みんな、おかげを落としておるじゃないかと。いわゆる、山吹のような花ではつまらん、おかげではつまらん。実るおかげでなからにゃいかん。ためには、実のある信心。そんなら、実のある信心とは、私共がです、改まって神様に向かうという事。小便から、大便のおかげを頂かなきゃいかん。徳のおかげを頂かなきゃいかん。それがです、この世は、徳の船に乗って渡れという。現在、私共がですね、乗っておる、例えば物が、まぁ、人力車のような、人間のようなものであるなら、それから、徳の車に乗り替えなきゃいけない。徳の船に乗り換えさせて頂くためにはです。石橋先生のご内容を申しましたように、人事を尽くされるという意味合いに於いても、いわば、人間心であるけれども。お芝居見のその事から考えさせて頂いて、段々、先生の信心がご成長になられて、信心辛抱のご内容が、出過ぎも、引っ込み過ぎもせんという、真の人を形成して行く、作り上げて行った。そして、石橋先生は、本当に、大空のような寛大なお方であったという事になった。その、寛大な内容というのは、信心辛抱が内容であった。その信心辛抱の内容を、いうならばです。弟子の無調法は、私の無調法としての信心であった。それが、当時の、あの久留米のゴヒレイを、いやが上にも、輝かしなさったところの元であったのではなかろうかという風に感じるのです。私共が、頂いておるおかげは、まぁいうならば、山吹の花のようなもの。だから、これに腰掛けず、私共が、本気で、改まって、ほんなら、この朝参りが出来ておるか。朝参りの修行は出来ておるけれどもです。本気で足を洗うておるか。足を洗うて、この朝参りが出来る。そこに、私は、実のある信心というものが出来てくるのじゃなかろうか。
私は、例えば、実のない、山吹の花的なものでです。如何に、人のために、世のために、親切にしておるようであってもです。それは、私は、実の無いものになってしまうと思うです。なしや、実が無い、内容が無い、その実を頂いて、人への親切であり、人のため、世のためになって行くのであり。そこからです、私は、人からも敬われる。まず、私でいうならばです、信者からも敬われる、家族の者からも敬われる。何とはなしに、みんなから、尊敬される私になる事が出来る。皆さんも、同じこと。はぁ、家のお父さんがと、例えば、家内からね、子供から言われる様な事では、どういう訳に、親を親とせんかといった様な事じゃなくてですよ。自分自身の信心の、実のない事を悟らせて貰うて。実のあるおかげを、一つ、頂いて貰わなきゃいけないとこう思う。「山吹や、かけひで足を洗いおり。」ここのところのおかげを頂いて、私は、いかなければ、本当言うたら、石橋先生のご信心の内容なんかでも、本当には分からんのじゃないかと思うですね。どうぞ。